STORY

 高校時代は人生の中でも大激動でした。県立脇町高校へ進学したと同時くらいに両親が離婚。家を出た時には制服とカバンくらいしか身の回りの品はありませんでした。貧困状態の中、みかん箱を机にして勉強する毎日。勉強机が欲しくてアルバイトをし、自分の机を持つことができた時の喜びは今も忘れられません。それでも元気に片道1時間もかかる学校に通い、勉強は「数Ⅰ」でつまずきましたが、水泳部で毎日2~3km泳ぐ毎日。みごとなまでの逆三角形の身体になりました。

 看護師を目指していた姉が実習先の療養所で知り合った義兄と結婚。義兄は進行性筋ジストロフィーで小さい時から車いす生活でした。いっしょに暮らす中で、たった数センチの敷居も越えられない生活に直面しました。このことをきっかけに様々なボランティア活動などにもかかわるようになりました。たくさんのよき友にも恵まれ、こうした活動にもいっしょに取り組んでくれました。

 小さい時から思い悩んできた「すべての人が幸せに生きられる社会」を作るにはどうしたらいいのか。この疑問を自分の生き方にも重ね、進路を考え続けた日々でした。「社会福祉の道を進みたい」という思いと、家庭の経済的な問題の中で悩み、「働きながら学ぶ」というスタイルの夜間の大学へ進む決意をしました。

 進路を先生に相談した時、「お前、今までよう頑張ってきたなあ。もっと早う相談してくれたら。」と、すぐに奨学金の手続きをしてくれました。当時、母子の児童扶養手当は18歳の誕生日までしか支給が無く、4月生まれの私は高校3年生の1年間が経済的にも非常に厳しく、通学の定期券を買う時なども本当に親に申し訳ないという思いでいっぱいでした。

 今も子どもや女性の貧困や、高すぎる学費などは、とても深刻な問題です。こうした問題の根底に「政治」があり、そこを変えることに自分の人生をかけることができるのも、こうした経験があったからこそだと思います。


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