STORY

 生まれ育った貞光町は自然豊かな町でした。毎日野山を走り回り、春にはレンゲ畑で、夏には清流で、冬は雪の中で自然に育まれました。私は貞光川の清流が大好きでした。夏休みは毎日魚とともに川で泳ぎ、背中は焼けて真っ黒、おなかは真っ白な身体をしていました。山の中に基地をつくって先生からこっぴどく叱られたり、男子と取っ組み合いのけんかをしたりの毎日でした。

 とにかく、チャカチャカした自立心の強い性格で、何でも先頭を行くタイプの子どもでした。苦手だったのは人と「足並みをそろえる」こと。運動会の行進は大の苦手でした。小学校も高学年になると「鼓笛隊」をやらないといけないのですが、歩くのだけでも合わせられないのに、楽器を演奏しながら人と足並みをそろえて行進するなどできるはずもありません。全校生徒の前で「この子だけが合ってない!」と先生から指摘されたことは今でも忘れられません。このころから「人と同じ」という類が苦手だったのかもしれません。

 小学校低学年の時、当時の木造校舎が火事で全焼。校舎の建て替えのため、卒業間近まで公民館などを教室にして、ジプシーのような学校生活を余儀なくされました。そのため、中庭や校庭を作る「勤労奉仕」の時間が多かったように思います。そんな作業の中で、手がドロドロになるような仕事もたくさんやりました。当時大好きだった担任の先生が「手は汚れたら洗えばいい。」と語った当たり前の言葉が、その後の私の人生を大きく左右しています。人が嫌がる仕事も何の苦もなくやれるのも、あまり「偏見」を持たない性格もこんなところから生み出されたのかもしれません。

 中学校は女子剣道部を創設。顧問の先生の協力もあって実現しました。大学生時代、母校の中学校へ教育実習に行かせて頂きましたが、この時の顧問の先生が教頭先生になられていて、ここでも様々な事を教えていただきました。よき恩師との出会いが人生を豊かにしてくれました。


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