STORY

 私は1966年、徳島県の剣山のふもとの町、貞光町(現・つるぎ町)で生まれました。父は大工、母は散髪屋という両親のもと、4つ上の姉と商店街の真ん中で育ちました。当時は小さな田舎町でも商店街には賑わいがあり、隣近所が皆家族、父母の弟子や隣近所の子どもたちが食事やお風呂をともにし、毎日お祭りのような家庭でした。

 私は小さい時から身長が高く、保育所のころから頭一つ飛びぬけていました。そんなこともあって足も速く、小学校の運動会の地域対抗リレーでは必ず一つ上の学年に混ざって走らされていました。おのずと負けん気と正義感の強い子として成長し、弱い者いじめは大嫌い。そんなことを目撃しようものなら、身体の大きな男子とでも取っ組み合いのけんかをするような子どもでした。中学校ではクラスから押されて生徒会に立候補。このころから断れない気質が育まれていたように思います。「これまで通り」というやり方がどうも苦手で、生徒会でも対峙する担当の先生ともかなりの議論をして、変えていったのを覚えています。

  郷土が誇る「阿波踊り」大好き少女でしたので、3歳のころから「連」に入りずっと続けてきました。今思えば、小さな町でしたがこうした異年齢の社会の中で大事に育てられ、社会性を培うことができたと、今でも郷里の町に対しての誇りと懐かしさを胸いっぱい感じることができます。

1998年の参議院選挙で初めて国政に挑戦した時には、「大店法」の議論真っ最中でした。私をあたたかく育んでくれたこうした商店街が、規制緩和で大型店に押され全国的にどんどんその姿がなくなっていくことにどうしても我慢できなかったのも、立候補を決意した理由の一つでした。今も、疲弊していく商店街を何とかしたいという強い思いを持ち続け、私の原点ともいえる四国各地の小さな町の声をしっかりと国政に届けるためにも頑張っていきたいと決意しています。


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